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ユーザーを訪ねて
号のユーザーを訪ねて
No.106
製品カテゴリ:
人の技・心と最新鋭の設備が完璧な製品をつくる
株式会社ユタカ 様
四国は松山の地に1977(昭和52)年の暮れ創業された、株式会社二神機械産業(1996年に株式会社ユタカと社名変更)。
同社を一言でいえば、先端技術の電気・電子・食品・医療業界などの生産設備に関わる、 精密加工部品や金型を製作するメーカーです。
その技術力は、全国的においても、最先端的で高精度、高品位なものでしょう。
「どんなものを作っているのかを、具体的に説明出来ないのが残念なんです」とは、 同社創業者の二神久三社長[ふたかみひさみつ](56歳)の言葉です。
企業間における技術革新や技術競争は、ますます激しさをまし、 最先端技術に関係あるものに携わっているが故に、 「シークレットが多い」のも、また同社の誇りであり特徴でしょうか。
「ユーザーを訪ねて」第106回は、「坊ちゃん」「おはなはん」などでも有名な、四国は松山市に、 株式会社ユタカの本社工場様と同社第二工場様を訪ねました。
シークレットの多さが、技術力を物語る、技術集団への脱皮
シークレットの部分が多いのが特徴です――といわれる同社が携わっている加工部品は、 極端にいえば僅か1ミクロンの誤差が、商品力を大きく左右させてしまうほど、 その精密度は想像を超えるもののようです。
だからでしょう、自ずと「シークレット」という機密の部分が多くなり、 これがまた、同社の「売り」であり、技術力が高い証拠になっています。
そんな同社ですが、創業から5~6年は筆舌に尽くし難い、産みの苦しみを味わったようです。
二神社長はその時代を、次のように話されます。
「自宅に電話を一本引いての創業。独立といっても、何をやるか決まっていない状態。
何とか最初の仕事になったのが、松下寿電子工業さんからの部品加工。
円高の時で、企業は徹底的な経費削減をやり、ボルトやナットなどの消耗品は自前という厳しいものでした。
それでも創業から3年後の1980(昭和55)年には、自宅から別に事務所を開設。
仕事は、お客様から図面をもらい、徹夜して材料を調達し、それらを持って下請けを駆け回るという日々。
いわゆるブローカー的な業務で、あるところでは、”ピンハネ屋”と悪態もつかれたり、 それは大変でした」。
素人集団ばかり、だから恐さ知らずで思い切って出来た
1981(昭和56)年に機械設備を導入した頃から、わずかな利益も出始め、 機械加工業としての企業への脱皮が図れ、同年7月に株式会社二神機械産業に法人化し、新組織に改めて出発。
しかし、その後の3~4年は浮き沈みの激しい時代に、変化の多いこの業界として、翻弄され続けました。
「昭和56年9月に立フライス盤を1台設置して、物作りを始めました。 最初の社員は何とレントゲン技師。その時でしたよ、工作機械を使った物作りが、 如何に儲からない商売かが、わかったのは」と話す二神社長です。
もともと二神社長は、中央大学の文系出身。
採用した社員も機械加工などは、やったことのない素人の集まり。
少しずつ業容を拡大しながらも、「技術屋がきてくれるはずはなかった。 だから素人の恐さ知らずで、思い切ったことが出来たんでしょうね」と二神社長。
1985(昭和60)年2月に、現在地に工場建屋を建設していらい、松山地区では初めての新鋭設備を導入し、 実質的なメーカーとしての、スタンスを明確にされました。
このように同社は、基本的な方針として、他社にない新鋭設備を、思い切って設備。
大きく差別化を図ることに着目し、現在の同社が持つ特徴である”技術指向”の企業に、 大きく方向を転換してきました。
高性能の機械でも、動かすのはやはり人間の頭脳や感性・心です!
そして現在では、当時の方向転換が効を奏して、「シークレットの多さ」が、 同社の特徴と胸を張れる”技術指向”の企業に、大きく変身しています。
「今まさにコンピュータ時代です。あらゆる業界で、省力化と合理化が著しく進んでいます。
でも、いかに技術革新が進み、どんなに高性能な機械が出来ようとも、それを動かし活用するのは、 人間の頭脳であり感性、そして何よりも成し遂げるんだという勇気と心です。
ですが、四国には導入されていない、最新鋭の設備が当然なければ、 この理念と方針は基本から崩れてしまいます。
だから、ある程度のことは業界事情を含めて理解できますから、まず私の感性で判断し、 設備を導入してきました。
マツウラの27,000回転という、超高速型の機械を設備したのも、 まさに私の感性を蓄積したノウハウからです」
と二神社長は、身体を乗り出して話されます。
同社が高精度のアルミ材を中心にした、部品加工では従来の10,000回転程度の切削速度で、 加工歪みが出るし、サイクルタイムも短縮出来なかったことが、 超高速型FX-5G型を設備された最大の理由。
でも本当は、もう少し多機能を持った、マツウラのターナリ型かMAM72-3VS型が、 同社長のターゲット機械だった由。
使ってみて、初めてわかった、FX-5G型の値打ち。高価だが良い!
FX-5Gを設備して、満1年が過ぎた同社。
その機械を担当されているのが、製造部の北浦英治次長です。
「私は製造部の機械加工全般を担当していますが、以前からマツウラの機械を一度、 是非使ってみたいと思っていました。
最近多くなった難削材による、難易度の高い仕事などを含めて、いろんな角度から、 相当厳しい使い方で、1年使ってみました。
その結果、初めてFX-5Gの値打ちが、私の身体で解ったように思います。
高い買物でしたが、やはり良いですね。
高精度の部品加工を、20,000~27,000回転で加工し、今では初期以上の成果が出て、うまく行っています。
つきつめれば、ギリギリの物を加工するには、立型MC、これを超高速にうまく活かしている、 マツウラの機械作りの心が、この機械には間違いなく入っており、 いよいよマツウラが好きになってきました。」
と北浦次長が話せば、二神社長は目を細めて聞きながら
「彼の言葉に嘘はありません。私は今でも、機械加工は素人同然です。
だから北浦次長に、思い切って任せたんです。
今年は、大卒新人を2名採用し、マシニングセンタの設置をしている、製造部へ放り込みました。
頭の柔かい、若い素人に思い切って、任せることにして――」
と話しています。
最新鋭機械設備の力をフルに引き出す、職人の技と心」 「製品作りへのこだわりが生んだ一貫体制」そして「心が豊かだからこそ、できる良い製品」 という言葉に込められた、同社の経営理念。
というより二神社長の、実体験に基づく、心の叫びでしょうか。
大学卒業後、東京で10年。
「いろんな仕事を通じて、いろんな方々に、巡り合えご縁が出来た。 でも、こんな仕事をやるとは、思ってもみなかった――」と目を細める二神社長。
今でも年に5~6回は上京して、オペラやクラシックを楽しみ、絵画をたしなまれる二神社長。
学生時代から社会人で約15年の東京生活から、東京の生活やビジネスチャンスを実体験してきただけに、 やはり東京を含む関東市場に、注目されているのでしょう。
東京は大田区とは、6~7年前から競合しながらも、コストや治具で 「ユタカが有利だが、四国では地の利がないから、あまり無理はしていません。 それより、やはり関東にビジネスチャンスがあり、これにどうトライするのか、ユタカの課題です」 と明言される二神社長。
同社の社名変更でも、五穀豊穣の精神が、「ユタカ」とされている理由をみても、 今後の飛躍にむかって挑んでいるようでした。
会社情報
- 会社名
- 株式会社ユタカ 様
- 本社工場
- 愛媛県松山市
- 代 表 者
- 代表取締役社長 二神久三[ふたかみひさみつ] 氏
- 資 本 金
- 3,000万円(平成13年4月現在)
- 売 上 高
- 14.9億円(平成13年3月期)
- 従 業 員 数
- 70名(平成13年4月現在)
- 事 業 内 容
- 精密機械加工、治具、金型部品加工
- 株式会社ユタカ第二工場
- 所 在 地
- 愛媛県松山市
- 従 業 員 数
- 8名
- 主 な 業 務
- アルミ素材の板部品・ステンレス素材の丸部品などに代表される、超精密機械部品加工